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チベット人を救え!

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自分の言いたいことを書きたい!辛口でも甘口でもいいから書きたい!共感できることはしたい!反骨精神を出す時には出したい!皆さんから意見が欲しい時には求めます。そうでない時には求めません。
信州上田の旅(5)
先日の続きになります。

いよいよ上田城へと参ります!

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上田高校をさらに北へ向かいます。
そして三叉路の正面には「上田城」の入り口(二の丸)がありました。
この看板が目印ですが、信号機にも「六文銭」がありました。

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この付近(JR上田駅からほぼ上田市内中心部の至る所)は「真田六文銭」がいっぱい!
ちなみに県立上田高校の部活動や体操着の胸などにも「六文銭」
結構強烈なインパクトがありました。気分は真田昌幸・幸村ですか…?

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二の丸への橋から見たところです。
今は遊歩道になっていますが、当時は空堀となっていました。
これが結構深いんですよね、写真ではそのようには見えませんが…。

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正式には「上田城跡公園」です。
これは公園内の案内板です。

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上田城の歴史と当時の上田城の見取図になります。
ここにはありませんが、この看板(案内板)から正面に行った直のところに上田市立資料館があります。
詳しくは上田市のHPをどうぞ…。

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この案内板を通過してさらに奥に進むと、真田幸村と真田十勇士が城門前にてお出迎えです。

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周辺はざっとこんな感じになっています。
正面は真田神社になっています。城門をくぐると本丸になります。

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城門の両隣には櫓があります。
大変珍しい構えをした、立派なものでした。
おそらく城門に押し寄せてきた敵兵を両方の櫓からも攻撃できるように仕掛けたものですね。
この城門、実は南側にありますが、その理由は徳川・北条の連合軍に備えて、
真田昌幸が急遽強固なものにしたようです。

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写真から左側は大変深い堀切になっています。また武器として使うことができる「矢竹」が生い茂っていました。徳川軍の多くがこの矢だけによって被害を受けたことでしょう…。

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城門の正面はこんな感じです。大変立派なものです。

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城門をくぐる前に(本丸に入る前に)有名な「真田石」が石垣にありました。

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これより本丸に入りますが、早速見えてきたのが真田神社です。
当日祭りの準備の最中でした。

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おそらくこれも祭りのためのものだったのでしょうか?

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しばらく奥に入ると「真田井戸」なるものを見つけました。
さすがは真田昌幸、抜け目がありません。「信州の小信玄」と呼ばれるはずですわ…。

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さらに奥に行くと西櫓があります。(案内板付き)
残念ながら西櫓には入ることはできませんでした。

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西櫓付近から見た風景です。
長野新幹線が走っていますが、その向こう側が千曲川になります。
さらに見えませんが、そのさらに向こう側には上田ヶ原があります。
あの有名な「上田ヶ原の合戦」が繰り広げられたところです。
この付近、今はこのようになっていますが、
真田昌幸が築城した当時は尼ヶ淵(千曲川)一帯だったそうです。


さてこれより櫓の中に入りますが…次回とさせていただきます。
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信州上田の旅(4)
先日の続きになります。

真田氏本城をからさらに北へ3分程のところに「長谷寺(ちょうこくじ)」があります。

国道144号線をひたすら菅平方面へ向かいます。
相変わらずの山道であり、緩やかな、なだらかなカーブが続きますが、
比較的走りやすいのが特徴です。ただ路線バスも通るために雪道になると怖い感じがしています。
真田氏本城と同様に掲示板(案内板)がありますので、初めて行かれる方も安心して下さい。

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これが「長谷寺」になります。周辺は民家が多く、ひっそりとしています。
田舎の寺らしくひっそりとした場所にあります。
しかし観光客は多いようでバスが数台駐車できるだけのスペースがある駐車場があります。

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これ、実は駐車場内にあるトイレですが、
ここにも「六文銭」があります…。それほどまでにして「真田家の菩提寺」ということを強調したいのでしょうか?

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駐車場から石段を上がってすぐのところに、このような石でできたアーチ上のものがあります。
普通は門構えですが、それらしきものはありません。まあこの寺院の特徴でもあります。
その昔、真田幸隆が武田信虎に本領を奪われた後に上州へ逃げましたが、
その時に何かと世話になった僧「晃運字伝」を開祖とした寺院で有名です。
昨年度大河ドラマ「風林火山」では度々出てきた、豪快な坊主です。
河越(川越)合戦にて負傷した山本勘助を介抱した坊主だと言えばお分かりのことでしょう。
武田晴信(武田信玄)に帰属し、本領復帰を果たした際に、真田の郷へ招聘し、
上州での浪人(関東管領上杉の家臣:長野業政の与力)時代の恩に報いるべく、
建立された有名な寺院です。武田家滅亡後も真田家の加護を受けて菩提寺として、
そのまま存在しています。恵林寺や積翠寺とは異なり、織田信長の焼き討ちは受けていません。

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石のアーチをくぐると本堂になりますが、
これより裏手側に回り、しばらく歩くと「真田幸隆夫妻と真田昌幸の墓」が見えます。

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中央が「真田幸隆」、左側が「奥方」、右側が「真田昌幸」となっています。
行けばお分かりですが「昌幸」は「千雪」となっています(撮影はできませんでした)。
この後信綱寺に行く予定でしたが、日が暮れてしまったことや天候が悪くなってきたこともあり、
取り止めとなりました…。
「信綱寺」は真田幸隆の嫡男である「真田源太左衛門尉信綱夫妻」と次男である「真田兵部丞昌輝」の菩提寺です。
この2人ですが、皆さんご存知の通り「長篠の合戦(設楽ヶ原の合戦)」にて壮絶な戦死を遂げています。
「長篠の合戦(設楽ヶ原の合戦)」の屏風絵巻にて登場しています。
当時最強といわれていた武田騎馬軍団の一角を担っていた両名です。
左翼に位置する佐久間信盛率いる部隊を猛然攻撃し、三重の馬防柵を蹴散らしていましたが、
最後の柵を潰す前に織田・徳川連合軍三段構えの鉄砲隊の餌食になってしまいました…。
武田勝頼の無謀さが有能な人間を潰したのでした…。
直属の家臣が主君の首を包んで、持参したとされている信綱の血染めの陣羽織は家宝と言われています。

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一夜明けて、ホテルからみた上田市内の様子です。
一週間前の天気予報では「曇りのち雨」だったのですが、朝から爽快でした。
画像の左側ですが、県立上田東高校、さらにその奥(山側)には国立信州大学繊維学部があります。
上田市には別所温泉方面(上田駅から千曲川を越えた東側)には長野大学もあります。
これより上田城方面へと向かいます。

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JR上田駅周辺です。「信州上田は真田氏の街」ということでもあり、
街の至る所は「六文銭」だらけですわ…。

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駅前には真田の馬印と真田幸村がお出迎えです。

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これより約5-10分程北へ(上田城・市役所方面)歩くと真田藩主屋敷跡地に到着します。
父の後を受け継いだ長男信之が長野松代藩に転封されるまで、ここが上田藩庁でした。
実はここは県立上田高等学校だったのです。
通常屋敷の門(正門)は閉じられていますので、ここからは入ることはできませんが、
大変立派な門構えとなっています。これが高校かよ?と思うくらいです。
ここの門が開かれる時には「入学式」「卒業式」だと思います。

堀が巡らされていますので、その堀に沿って北側の校門より校内に侵入しました…。

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屋敷門の裏側です、まあこんな感じであり、普通の学校の様子と変わりありません。

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この高校の有名なものは藩主屋敷門跡だけではなく
「校歌」だったのです。

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特にUPした、「2番目の歌詞」は真田昌幸を称えたものです。
歌詞の中に「関八州の精鋭」とありますが、これはご存知「徳川家康・秀忠親子」のことです。
「松尾が丘」とはおそらく真田の郷のことだと推測します。
ちなみに上田高校の学校祭は「松尾祭」だそうです。
上田市の北に位置する坂城町にある県立坂城高校での学校際は「葛尾祭」だそうです。
(各々の高校HPで調べました…(ノ´∀`))
徳川軍の侵略(第一次・第二次上田合戦)を知略と策略、住民の力で退けた勇姿には脱帽です。


次回はいよいよ上田城へと向かいます…。

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信州上田の旅(3)
先日の続きになります。

真田氏歴史館及び真田氏館跡(御屋敷公園)よりさらに北へ約3-5分程度で、
真田氏本城(松尾城)に行くことができます。
いろいろな方がHPやブログなどで書かれていますが、
この城跡ですが、自家用車にて頂上の手前まで登ることができます!


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真田氏本城の見取図になります。ご承知の通り本城、二の丸、三の丸になっています。
この本城の手前まで自家用車で行くことができます。駐車できるのは5台は間違いないと思いました。

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道は狭いし結構急坂ですが、小回りの利く車であれば、難なくクリアできます。
但し、駐車場手前の坂は狭いので、10mくらいは一台しか通れませんのでご注意下さい。
(すれ違いはできませんので…)
この急斜面には数軒の家がありますが、長野県の災害要注意地区(正式名称忘れた)に指定されています。
看板や家を映すわけにはいきませんが、興味ある方は行って見て下さい。

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駐車場から降りたらすぐにこんな感じになっています。


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小道がありますので、先に進み、進行方向左手側(南斜面)は曲輪(二の丸)なのでまだなだらかになっていますが、北側の斜面は結構な急斜面にて、落ちたらまず助かりません。

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さらに先に進むと小屋みたいなところがありますが、これはトイレです。

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小道をさらに先に進むと真田氏本城の石碑と説明があります。この付近は海抜600m以上あります。
上田市内よりも真田地区は約7度ほど(それでも当日この付近は26度)涼しかったですよ。

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トイレを通過すると展望台があり、そこから真田の郷を一望できます。
ここで真田幸隆はこの風景を見て何を思っていたのでしょうか?

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後ろを振り返ると二の丸、三の丸が見取図のように段々になって、周囲の緑がさらに映えます。
武田信虎の侵略によって上州へ逃げる羽目になってしまった真田幸隆は、
武田信玄(武田晴信)の代になってから山本勘助の推挙にて真田の郷に帰還することに成功(当時は松尾古城)しました。
そして10年前に信虎と共に侵略してきた宿敵村上義清に対して、
再び真田の郷への無事帰還できたご挨拶代わりというか、武田信玄に対する御礼・感謝の意味を込めていたのかは分かりせんが、大変厳しい一発を食らわすことになりますが、その舞台となったのが二の丸です。
真田幸隆の策略にて砥石城と坂城の本城からの兵を迎え入れて、
城内(二の丸)にて封殺したのは有名な話です。
その中には重臣もいたので、村上義清は砥石城からその様子を見て、
相当な怒りモードだったようです。真田の恐ろしさを思い知ったのでしょうか…?

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小道をさらに進むと本丸付近は周囲よりもちょっとだけ高くなっています。
その周囲を少々上がりながら迂回する形になりますが、昔の碑本丸山頂部に立っていました。

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また「真田氏本城跡」周辺の地図もありました。
説明では上田城が書かれていますが、絶対に見えません。

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坂城・北信濃の猛将である村上義清の本城である葛尾城の支城として、
武田信玄や真田幸隆の攻略から守る城として有名な砥石城(砥石米山城跡:南側)が見えました。
(中央のちょっとした小高い丘みたいな山ですが、「連合曲輪」として信州有数の難攻不落の城です)
「砥石崩れ」と呼ばれた、信玄2回目の敗戦から数ヶ月後、
策略にて砥石城を丸ごと寝返らせて、一夜にして僅かな手勢にて見事に占領した手腕は、
さすがは「真田幸隆」です。村上勢は2回も真田の策略に嵌り、今後は致命的なダメージを受けてしまいました。戦国の知将として武田信玄からも一目置かれた、特別な存在だったのでしょう。
砥石城攻略にて武田と村上との形勢は一気に逆転し、さらに追い討ちをかけるように周辺の豪族を武田方に寝返らせることにて、村上義清の勢力を弱体化させることに成功。
村上の居城である葛尾城は丸裸にされたのでした。
後は皆さんご存知の通りですね (・_・。)(._.。)(・_・。)(._.。) ウンウン
残念ながら葛尾城は坂城にあり、画像ではさらに奥の山を越えなければなりません。

尚、砥石城(砥石米山城跡)へは車で行くことができます。
真田氏本城より車で約10分程度です。
駐車場も広く、辺りはのどかな風景になっています。
当日砥石城へも行きましたが、アブが多く飛んでいたために山に登ることができませんでした。
それ以前に車から降りることすらできませんでした(アブだけに危なかったの!?)。
画像ありません、ゴメンナサイ…。他の方のサイトを参考にしてください。


次回は長谷寺(真田幸隆夫妻と三男昌幸の墓)と上田市内(上田藩主屋敷跡)になります。

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信州上田への旅(その2)
先日の続きになります。

第2回は「真田氏歴史館」の続きと「真田氏館跡(御屋敷公園)」になります。

先日UPできなかったものをUPしていきます。

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「あと3年、わしに命があったら…」
父の遺言だった、志であったと思います。
「真田昌幸」の思いを受け継いだ真田幸村。
徳川家康にとってみれば「真田昌幸」という男には散々な目に遭わされています。
武田信玄の軍師として「一言坂の戦い」にて打ち負かされ、
三方ヶ原の戦いでは完膚なきまでに潰され、
武田家滅亡にて独立してからも精鋭部隊を率いての2度のガチンコ勝負に持ち込んでも、
知略で退けられました…┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~
反徳川の私にとってみれば真田昌幸・幸村親子は英雄です!
「徳川家康・秀忠親子」<<<「真田昌幸・幸村」

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先日UPできなかった(するのを忘れた)ものです。
砥石城攻略の場面が障子に書かれています。

さてこれより館内の展示物を撮影しようと思ったのですが…

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ということで、できませんでした。

しか~し!
これだけは撮影してきました。
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まあ、これでお許し下さい m(_ _)mスマン


次に訪れたところは「真田氏館跡(御屋敷公園)」です。
真田氏歴史館のすぐ隣にあります。
歩いてでも数分で行けますが、これが結構広いの!

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上田城が完成するまでの間の屋敷だったそうです。

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緑豊かな、綺麗なところでしたよ。

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辺り一面、広大な緑です!気分が良かったですよ!
ちなみに館跡ですが、それ程大したことは無かったのでカットしました m(_ _)mスマン

次回は「真田氏本城(松尾城)」とその風景等の予定です…。

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ご無沙汰です m(_ _)mスマン
大変ご無沙汰いたしております。
病気が悪化したわけではなく、無事に過ごしておりますのでご安心を m(_ _)m

先週の金曜日と土曜日に夏休みを取得し、信州上田に行ってきました。
いわば、家族旅行というものです (ノ´∀`)

昨年の大河ドラマである「風林火山」にてさらにその知名度を上げた、
戦国屈指の謀将で、歴史に名を残すまでに家を再興した英雄「真田幸隆」、
またその子で徳川親子をギリギリにまで追い込んだ知将「真田昌幸・幸村」の所縁の地を中心に、
時間の許す限り、身体の許す限り訪ねてみました。

「信州上田旅行記」とでの題しましょうか?
しばらくは数回に分けてブログの記事にしていきます。

まず第一回は「上田駅から真田氏歴史館(1)」まで。


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信州の東に位置する上田市です(JR上田駅)。
名古屋より「ワイドビューしなの」に乗って終点の長野駅まで、
それから長野新幹線に乗り換えて次の駅が上田です。
所要時間は長野駅から約14分ほどで、そのほとんどが山(トンネル)でした…。


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上田駅からレンタカーにて「信州そば」を食してから、
国道144号線をひたすら走り、上信越自動車道の上田菅平ICを通過しても、
一路上田市真田地区(旧小県郡真田町)へ走ること約15分ほどで到着したのが、
「真田歴史館」及び「真田氏御屋敷公園(真田氏館跡)」です。
もちろん外見は屋敷風で、お客様はほとんどいませんでしたので、
我が家の貸しきり状態でした (ノ´∀`)

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館内の扉を開けたら騎馬武者姿の「真田幸村(信繁)」がお出迎え~ \(^▽^)/

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そして真田十勇士もお出迎えです。

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「真田」といえば「六文銭(六連銭)」が代名詞です、これが館内でひと際目立っていました。

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「戦国時代の真田三代」を語るにはやはり「真田太平記」は外せませんね。
(真田昌幸:丹波哲郎、真田信之:渡瀬恒彦、真田幸村:草刈正雄)
ファミリー劇場でも、時代劇専門チャンネルでもいいから再放送して欲しい~!
⇒池波正太郎の真田太平記館へ行けなかったことが残念である…(-_-;)ホント

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有名な犬伏の別れです。

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真田幸隆を忘れてはなりませんね!

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策略により砥石城攻略に成功した真田幸隆と逃げる村上の守備兵です。

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中央で指揮を取っているのが真田幸隆です。
攻略準備をしっかりしていた武田信玄でさえも落城できなかった、
難攻不落の城「砥石城」
「砥石崩れ」の失態を、ある日わずか一日で見事に攻略成功。
信玄の信頼を勝ち取った瞬間でもあり、村上義清没落への引導を渡したのは有名です。


本日はこれまでにいたします。
また後日にこの続きを… m(_ _)mスマン
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