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チベット人を救え!

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自分の言いたいことを書きたい!辛口でも甘口でもいいから書きたい!共感できることはしたい!反骨精神を出す時には出したい!皆さんから意見が欲しい時には求めます。そうでない時には求めません。
「風林火山(37)」
「母の遺言」より


ついに晴信の母である大井夫人がこの世を去る時がやってきました。

大変悲しいことですが、これもこの世の常であります m(_ _)m

大井夫人も自分の死期を悟ったのでしょう、

あの山本勘助と面会し、晴信のことを託しています。

晴信が一番頼りにしているのは山本勘助であると見抜いていたからでしょう。

何よりも諏訪の姫のことを案じ、甲斐から遠ざけることで武田本家を守ることを目的としていたのでしょう。

そのキーマンが山本勘助だと分かっていたからですね。

さすがはしたたかであり、そしてさり気無い、しなやかさ、

戦国時代を生き抜いた女性の強さがにじみ出ていた感じがしました。

この方の人生は苦労の連続でした。

大井家と武田家とが甲斐一国の領有権を巡る争いにて、

大井家が敗れ、大井夫人は半ば武田家の人質としてやってきました。

3人の優れた男子(晴信・信繁・信廉)に恵まれますが、

夫である信虎と嫡子晴信との確執・争い・そして追放…。

諏訪への攻略によって娘と孫を失う、

信州上田ヶ原にて武田家の重臣であった板垣・甘利を失う、

村上義清との戦にて心を痛め、

ついには今川家との縁組で心労はピークに達した模様ですね。

この縁組、この先どうなるのか薄々感じ取っていたと見受けられます。

今後の武田家のことを暗示しているような展開だったと思います。

「信虎と晴信」「晴信(信玄)と太郎(義信)」

家督相続問題での遺恨が後に武田家を急速に衰退させていったのでした。

大井夫人にとって見れば、

今の晴信は以前の信虎に見えていたことでしょう。

親としてはそれが気掛かりだったのでしょう…。

「武田家が滅ぶとしたら、晴信が父にしたことへの報いだ」

ビンゴでしたね…( ̄ェ ̄;)


大井夫人が亡くなり、三国同盟が結ばれてから、

また晴信の雲行きがちょっと怪しくなってきました…(-_-;)ホント

山本勘助の外交には目が光るものがありますね。

あの北条氏康を見事に説得させたのはお見事でした。

「上杉のバカ殿と長尾景虎との共闘」

武田及び北条にとっても得策だったのではないでしょうか。


北条氏康の男気にも感動しましたね。

【義を守りての滅亡と、義を捨ての栄花とは、天地各別にて候】

竜若丸には気の毒だったが、

「義」を通すことを知らしめたことは大した武人でした。

のちの「直江兼続」を連想させました (;´▽`A``アセアセ

(天地人:2009年大河ドラマ放映決定!)


さて来週は長年の宿敵であった村上義清が葛尾城から追放されます。

武田晴信に2度勝った男が、どうして居城を捨てて越後へ敗走しなければならなかったのか?

その理由がさらに明らかになることでしょう。

武力だけでは勝ち残れないことが証明される瞬間だと感じています。

武田晴信を少々見くびっていたようで、これが命取りになったようです。

この敗走が川中島の合戦へと繋がっていきますが、

三国同盟後の今川家の軍師であった太原雪斎の死去より暗雲が立ち込めるようになり、

1560年桶狭間の合戦にて今川義元戦死で、

一気に形勢が著しく変化していきます…。
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テーマ:風林火山 - ジャンル:テレビ・ラジオ

この記事に対するコメント

 予習完了です!!
今週は録画もせずに外出する用事があったので、
風林火山、土曜の再放送を観ます(^-^)/
ブログ読ませて頂いて、予習バッチリ!土曜が楽しみです♪
【2007/09/18 03:05】 URL | ほにょにょん #- [ 編集]


村上討伐はありますが、山本勘助の進言にて村上義清は逃がされています。
越後の長尾との対決を今は避けるためです。
いずれにしても長尾との戦いは村上追放にて避けられない事態になることは見据えていたと考えられますが、あえてなぜ村上義清を討伐しなかったか、その真相は明らかになることでしょう。
所詮は同じことだと悟っていたと考えています。
村上に従っていた者や支配下の農民や豪族を自分の家来、家臣団に組み入れて、武田家を強くした方が得策だと考えていたのでしょう。

とにかく最小の被害で最大の成果を挙げる

これが武田家にとってはこれからのことを考えると優位になることだったからです。
織田信長とはここが大きな違いであり、人望の厚さに長けていたのでしょう。

情けは味方、仇は敵なり

その言葉通りで、旧村上領はそのまま平穏のようだったと思われます。
武田信玄と村上義清との差はそのカリスマ性にあったのではないでしょうか。
武田家の豪華な家臣団、勇猛かつ知略に優れた家臣団とその結束力は当時戦国最強と言われるに相応しいものだったと思います。
【2007/09/19 20:42】 URL | weekdaybattler #X1x3G5gE [ 編集]


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