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チベット人を救え!

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自分の言いたいことを書きたい!辛口でも甘口でもいいから書きたい!共感できることはしたい!反骨精神を出す時には出したい!皆さんから意見が欲しい時には求めます。そうでない時には求めません。
「風林火山(38)」
「村上討伐」より


大井夫人が亡くなった後ですが、

武田晴信が暴走気味になってきました…(-_-;)ホント

喪が明ける前に「村上討伐宣言!」ですからね ( ̄ヘ ̄;)ウーン

長男の婚儀も控えて、目出度いのか?、不幸なのか?

よく分からん武田家になっていました (・_・)ヾ(^o^;) オイオイ

弟の信繁や飯富虎昌の言い分はごもっとも ( ̄∧ ̄)(_ _)フムフム・・・


晴信がこの時期に至っても強行策に打って出たのは、

「甲斐・駿河・相模」の三国同盟の密約が成立したことによるもの。

晴信の村上討伐宣言は一見無謀と考える、

またこの時期に不謹慎と考える人は多いと思われますが、

この三国同盟によってお互いの利害が見事に一致したわけです。


駿河の今川家と婚儀を結ぶことで、これで背後の敵はいなくなる。
後は信州の村上一族や周辺の豪族らに脅威を与えることができ、戦わずして相手の戦力を落とすことで、無駄な戦を避けることができたわけです。

また次のこと(長尾景虎との決戦)も視野に入れていたことでしょう、相模の北条家とも婚儀を結ぶことで、上野・越後(関東管領上杉及び長尾)への共同戦線が張れる訳です。

また今川家にとっても武田・北条という背後の敵がなくなることで、
上洛することがより可能となり、その間に織田家を潰すことに専念できます。

北条家にとっても武田と手を結ぶことで上野・越後へ共同で当たることが可能になり、また関東一円を支配することができます。
これにより北条家は200万石の大大名になることができました。
関東管領上杉憲政の所領のほとんどを手中にできたわけです。
ただまあ、佐竹義重(別名:鬼義重、坂東太郎)には手こずったわけですが…( ̄ェ ̄;)

しかしこの三国同盟には「一つの罠」が仕掛けてあります。

武田晴信には大きな野望があり、それは「海」を得ること。

将来的には資源豊かな、港が栄えていた遠江・駿河を奪取することにあり、軍師である太原雪斎亡き後は今川家は間違いなく衰退すると読んでいました。
すなわち今川家と北条家とを天秤みたいにかけて、
今川家のほうが脆いと察知したわけです。
事実その通りであり、嫡男である今川氏真はバカ殿。
逆に北条氏康の嫡男である北条新九郎(北条氏政)は良き跡継ぎだったわけです(秀吉の小田原攻めではダメでしたが…)。

これは表向きのことですが…、

本当の罠は武田家にありました…。

山本勘助の策略でした。

駿河を攻めることで長男太郎にクーデターを起こさせて失脚させ、
四郎勝頼の跡継ぎにするためです。
山本勘助はそのことを見ることなくこの世を去りましたが、
見事にその計略がはまり、俗に言う「義信事件」として廃嫡となりました。
ただ皮肉なのは「その事件」が後に武田家滅亡への序曲となったことです。
武勇に優れていた、猛将と呼ばれていた武田勝頼も政治力はなく、
譜代家臣を上手く使えなかったのが痛手となり、
長篠の合戦にて戦国最強部隊が崩壊し、7年後に家臣にそっぽを向かれてあっけなく滅亡する羽目になりました…( ー人ー)|||~~~ ナムナム
譜代家臣の意見をしっかりと聞いておけば良かった、真田昌幸の城へ落ち延びれば滅亡することはまずなかったことでしょう…。
これも時代の悪戯なのかな…( ̄ヘ ̄;)ウーン

話しは大幅に逸れてしまったが、

馬場信春がやけに凶暴化していましたね~ (・_・)ヾ(^o^;) オイオイ

諸角のじーさんに愚痴こぼしていましたが、

まだまだあの時代の信春は若かったのかな?と思いました。

馬場信春は武力・知力・政治力にも優れていた武将と言われ、

武田二十四将の一人に挙げられています。

海津城代に任じられていますので、その点は分かるでしょう…。

今回の馬場信春はちょっと若さが仇になった感じがしています。

ヒサという女性も強いね~、

私だったら間違いなくあんなまねをしたら容赦なく斬り捨てるでしょう。

村上の正室(玉ノ井)も死ぬ必要はなかったはずなんだけどなぁ~。

村上義清を討たずに越後に逃がしたのは正解だったでしょう。

勘助の考えに間違いはなかったし、その後のことも予想通り。

越後からの援軍で一時旧領回復に成功したと思ったら、

また見事に潰された… ( ̄_ ̄|||) ドヨォーン

これも武田晴信・山本勘助の計略通りだったことでしょう。

「武勇に優れている」だけではダメだということが証明されましたね。


「優秀な軍師がいない」

「政治力や駆け引きが上手くない」

「三国同盟」


これが村上義清が信州から追放される結果となりました。

あまりにも実直すぎるのと、したたかさがないのが命取りでしたね。

村上義清の男気は存分感じたが、生きた時代が悪かったな…。

2度の戦いに勝っても、見事に駆逐されては意味が無いことです。

TVでも叫んでいましたが、さぞ悔しかったことでしょう…。


武田家にとっても一大事となってしまいましたね。

全ては山本勘助の読みの通りになりましたが、

いよいよ長尾景虎との戦いが避けられなくなりました。

村上義清の追放が「川中島の合戦」へと導かれていきます…。

言い換えれば武田晴信が長尾景虎を挑発した形になるでしょう。

長尾景虎にとっては侵略者である武田晴信への制裁及び村上義清の旧領復活という「大義名分」の戦い。

武田晴信にとっては…「野望実現」への戦いになるのでしょうか?

この際関東管領のバカ殿は放置プレイにしておきましょう。
酒飲んで、遊興に浸っておれ!
(直江実綱にしっかりと言われている…)


いよいよ大河ドラマも大詰めになってきました。

「川中島の合戦」

プロ野球同様にクライマックスへと向かいます…。

(その間にも両家ともゴタゴタが起きますが…)

両者とも優れた大将、武将、軍師がいますので、
双方とも戦いのタイミングや駆け引きは見物だと思います。

以前大河ドラマでやった「武田信玄」以来の期待があります。

((o(^∇^)o))わくわく



川中島の合戦についてはこちらを参考までに…。
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テーマ:風林火山 - ジャンル:テレビ・ラジオ

この記事に対するコメント

こんばんは♪今回、金沢の温泉宿にて(^-^)母と共に大河観ましたよ♪
浅瀬を行く策・・・裏をかかれてしまい女性陣が自害していく様は悲愴でした。
今回『山本勘助』が主役なだけに、頭脳派な人物の策略が目立つ中、
馬鹿殿がいるとちょっと息抜きになります(笑)
志村けんだったらよかったのになぁ~
【2007/09/29 19:32】 URL | ほにょにょん #- [ 編集]

返信おくれました m(_ _)mスマン
上杉憲政は結構しぶとく生き抜いています。
この人が死ぬのは当分先のことです。
しかしまあ、あのような状況下でも遊興三昧とは相当な馬鹿殿ぶりのようです ヽ(▽ ̄ )乂(  ̄▽)ノ

村上義清は決して愚かな武将ではなかったし、地元では英雄扱いでしたが、
そこは時代の流れと武田晴信、山本勘助、真田幸隆の登場で悲運の武将になってしまいました。生まれた国が違っていれば、生き方も考え方も違っていたことでしょう。
信州と中国地方はよく状況が似ています。小豪族が乱立しお互いにしのぎを削りながら、時には手を取りながら…。しかし最後は毛利元就によって統一されました。
毛利元就は知略の将として有名であり、その手法は武田晴信とよく似ています。
しかし両家にとっての決定的な違いが一つあり、それは武田家はお家騒動を起こしてしまったことです。
これが後に家臣団の苦衷崩壊となってしまい、滅亡という致命傷となりました。
逆に毛利家は吉川・小早川の両川家のサポート体制と優秀な軍師を数名育成することにより、関ヶ原の合戦を経てものちのちまで栄えていきました。
信州も中国地方も独立心旺盛な土地柄でしたが、やはり毛利元就のほうが一枚「家」という点では上手のようだと感じています。
【2007/09/30 21:49】 URL | weekdaybattler #X1x3G5gE [ 編集]


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