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チベット人を救え!

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自分の言いたいことを書きたい!辛口でも甘口でもいいから書きたい!共感できることはしたい!反骨精神を出す時には出したい!皆さんから意見が欲しい時には求めます。そうでない時には求めません。
信州上田の旅(3)
先日の続きになります。

真田氏歴史館及び真田氏館跡(御屋敷公園)よりさらに北へ約3-5分程度で、
真田氏本城(松尾城)に行くことができます。
いろいろな方がHPやブログなどで書かれていますが、
この城跡ですが、自家用車にて頂上の手前まで登ることができます!


sanada-shiro17

真田氏本城の見取図になります。ご承知の通り本城、二の丸、三の丸になっています。
この本城の手前まで自家用車で行くことができます。駐車できるのは5台は間違いないと思いました。

sanada-shiro3
道は狭いし結構急坂ですが、小回りの利く車であれば、難なくクリアできます。
但し、駐車場手前の坂は狭いので、10mくらいは一台しか通れませんのでご注意下さい。
(すれ違いはできませんので…)
この急斜面には数軒の家がありますが、長野県の災害要注意地区(正式名称忘れた)に指定されています。
看板や家を映すわけにはいきませんが、興味ある方は行って見て下さい。

sanada-shiro2
駐車場から降りたらすぐにこんな感じになっています。


sanada-shiro4
sanada-shiro6
小道がありますので、先に進み、進行方向左手側(南斜面)は曲輪(二の丸)なのでまだなだらかになっていますが、北側の斜面は結構な急斜面にて、落ちたらまず助かりません。

sanada-shiro5
さらに先に進むと小屋みたいなところがありますが、これはトイレです。

sanada-shiro7
小道をさらに先に進むと真田氏本城の石碑と説明があります。この付近は海抜600m以上あります。
上田市内よりも真田地区は約7度ほど(それでも当日この付近は26度)涼しかったですよ。

sanada-shiro11
トイレを通過すると展望台があり、そこから真田の郷を一望できます。
ここで真田幸隆はこの風景を見て何を思っていたのでしょうか?

sanada-shiro8
後ろを振り返ると二の丸、三の丸が見取図のように段々になって、周囲の緑がさらに映えます。
武田信虎の侵略によって上州へ逃げる羽目になってしまった真田幸隆は、
武田信玄(武田晴信)の代になってから山本勘助の推挙にて真田の郷に帰還することに成功(当時は松尾古城)しました。
そして10年前に信虎と共に侵略してきた宿敵村上義清に対して、
再び真田の郷への無事帰還できたご挨拶代わりというか、武田信玄に対する御礼・感謝の意味を込めていたのかは分かりせんが、大変厳しい一発を食らわすことになりますが、その舞台となったのが二の丸です。
真田幸隆の策略にて砥石城と坂城の本城からの兵を迎え入れて、
城内(二の丸)にて封殺したのは有名な話です。
その中には重臣もいたので、村上義清は砥石城からその様子を見て、
相当な怒りモードだったようです。真田の恐ろしさを思い知ったのでしょうか…?

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sanada-shiro15
小道をさらに進むと本丸付近は周囲よりもちょっとだけ高くなっています。
その周囲を少々上がりながら迂回する形になりますが、昔の碑本丸山頂部に立っていました。

sanada-shiro12
また「真田氏本城跡」周辺の地図もありました。
説明では上田城が書かれていますが、絶対に見えません。

sanada-shiro10
坂城・北信濃の猛将である村上義清の本城である葛尾城の支城として、
武田信玄や真田幸隆の攻略から守る城として有名な砥石城(砥石米山城跡:南側)が見えました。
(中央のちょっとした小高い丘みたいな山ですが、「連合曲輪」として信州有数の難攻不落の城です)
「砥石崩れ」と呼ばれた、信玄2回目の敗戦から数ヶ月後、
策略にて砥石城を丸ごと寝返らせて、一夜にして僅かな手勢にて見事に占領した手腕は、
さすがは「真田幸隆」です。村上勢は2回も真田の策略に嵌り、今後は致命的なダメージを受けてしまいました。戦国の知将として武田信玄からも一目置かれた、特別な存在だったのでしょう。
砥石城攻略にて武田と村上との形勢は一気に逆転し、さらに追い討ちをかけるように周辺の豪族を武田方に寝返らせることにて、村上義清の勢力を弱体化させることに成功。
村上の居城である葛尾城は丸裸にされたのでした。
後は皆さんご存知の通りですね (・_・。)(._.。)(・_・。)(._.。) ウンウン
残念ながら葛尾城は坂城にあり、画像ではさらに奥の山を越えなければなりません。

尚、砥石城(砥石米山城跡)へは車で行くことができます。
真田氏本城より車で約10分程度です。
駐車場も広く、辺りはのどかな風景になっています。
当日砥石城へも行きましたが、アブが多く飛んでいたために山に登ることができませんでした。
それ以前に車から降りることすらできませんでした(アブだけに危なかったの!?)。
画像ありません、ゴメンナサイ…。他の方のサイトを参考にしてください。


次回は長谷寺(真田幸隆夫妻と三男昌幸の墓)と上田市内(上田藩主屋敷跡)になります。
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この記事に対するコメント
大拍手!!
こうやって見ると、隣町「二本松」にある「霞ヶ城」に構造の似た山城ですね。
畠山氏築城の霞ヶ城の麓に我が総本家はあります。

「造り酒屋」として江戸時代から丹羽の殿様に苗字を頂き、商いをして来ました。
それゆえにゆかりが深く、山城は好きです。

姫路城の様な「美しい天守閣」ではなく「地の利」を利用した「戦闘型本丸」
ん~ ・・・・・・わくわくさせて頂きました。
【2008/07/31 22:56】 URL | ゆさこをゐち #- [ 編集]

コメントありがとうございます。
>ゆさこをゐち さま
どうもありがとうございます m(_ _)m
信州の城はそのほとんどは「山城」もしくは「平山城」です。
「平城」と呼ばれるのは川中島の合戦で武田軍の前線基地となった「海津城(正式には海津館だそうです)」と「上田城」です。
村上義清の居城であった葛尾城、小笠原長時の居城であった林城も山城になります。
高島城、上原城、桑原城のように一部例外もありますが…(ノ´∀`)

ちなみに我が尾張藩にも城は多くありましたが、濃尾平野があるため、
そのほとんどは「平城」もしくは城という名ばかりの「館」です。
全国的には犬山城や小牧山城は有名ですが、これは「平山城」になります。
これは「山」というよりも「丘」というのが正しいからだそうです。

二本松城・畠山義継といえば、伊達政宗の父である輝宗が悲劇の最期を迎えた事件を思い出します。
岩代国はもともと地形を上手く利用した城が多く存在すると聞いています。
三春城や相馬城、葦名氏の居城であった黒川城は有名だと聞いています。

>「造り酒屋」として江戸時代から丹羽の殿様に苗字を頂き、商いをして来ました。
それゆえにゆかりが深く、山城は好きです。
もともと「ゆさ」の一族は北陸出身であり、そこを支配していたのが丹羽長秀。
丹羽氏は織田家所縁(重臣・宿老)の大名としては最後まで残り、
孫の代にて江戸時代、確か二本松藩主も務めていましたね…(・_・。)(._.。)(・_・。)(._.。) ウンウン
関ヶ原の合戦にて西軍についた大名の中で、改易後に復活できた大名は丹羽氏と、
九州の鍋島氏だけだったはずです。
時の藩主より「苗字」を戴けることは大変な栄誉だったことでしょう d(⌒ー⌒) グッ!!
【2008/07/31 23:55】 URL | weekdaybattler #X1x3G5gE [ 編集]


関ヶ原後に改易されて、復活できたのは立花宗茂もそうだったと思います。
後は来島康親もそうだと言えるでしょう。
鍋島家については改易はされていないはずです。鍋島直茂がうまく立ち回りました。
【2008/08/03 03:57】 URL | 壱 #5mLFFOuI [ 編集]


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