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チベット人を救え!

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自分の言いたいことを書きたい!辛口でも甘口でもいいから書きたい!共感できることはしたい!反骨精神を出す時には出したい!皆さんから意見が欲しい時には求めます。そうでない時には求めません。
信州上田の旅(4)
先日の続きになります。

真田氏本城をからさらに北へ3分程のところに「長谷寺(ちょうこくじ)」があります。

国道144号線をひたすら菅平方面へ向かいます。
相変わらずの山道であり、緩やかな、なだらかなカーブが続きますが、
比較的走りやすいのが特徴です。ただ路線バスも通るために雪道になると怖い感じがしています。
真田氏本城と同様に掲示板(案内板)がありますので、初めて行かれる方も安心して下さい。

choukokuji1
これが「長谷寺」になります。周辺は民家が多く、ひっそりとしています。
田舎の寺らしくひっそりとした場所にあります。
しかし観光客は多いようでバスが数台駐車できるだけのスペースがある駐車場があります。

choukokuji2
これ、実は駐車場内にあるトイレですが、
ここにも「六文銭」があります…。それほどまでにして「真田家の菩提寺」ということを強調したいのでしょうか?

choukokuji3
駐車場から石段を上がってすぐのところに、このような石でできたアーチ上のものがあります。
普通は門構えですが、それらしきものはありません。まあこの寺院の特徴でもあります。
その昔、真田幸隆が武田信虎に本領を奪われた後に上州へ逃げましたが、
その時に何かと世話になった僧「晃運字伝」を開祖とした寺院で有名です。
昨年度大河ドラマ「風林火山」では度々出てきた、豪快な坊主です。
河越(川越)合戦にて負傷した山本勘助を介抱した坊主だと言えばお分かりのことでしょう。
武田晴信(武田信玄)に帰属し、本領復帰を果たした際に、真田の郷へ招聘し、
上州での浪人(関東管領上杉の家臣:長野業政の与力)時代の恩に報いるべく、
建立された有名な寺院です。武田家滅亡後も真田家の加護を受けて菩提寺として、
そのまま存在しています。恵林寺や積翠寺とは異なり、織田信長の焼き討ちは受けていません。

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石のアーチをくぐると本堂になりますが、
これより裏手側に回り、しばらく歩くと「真田幸隆夫妻と真田昌幸の墓」が見えます。

choukokuji6
中央が「真田幸隆」、左側が「奥方」、右側が「真田昌幸」となっています。
行けばお分かりですが「昌幸」は「千雪」となっています(撮影はできませんでした)。
この後信綱寺に行く予定でしたが、日が暮れてしまったことや天候が悪くなってきたこともあり、
取り止めとなりました…。
「信綱寺」は真田幸隆の嫡男である「真田源太左衛門尉信綱夫妻」と次男である「真田兵部丞昌輝」の菩提寺です。
この2人ですが、皆さんご存知の通り「長篠の合戦(設楽ヶ原の合戦)」にて壮絶な戦死を遂げています。
「長篠の合戦(設楽ヶ原の合戦)」の屏風絵巻にて登場しています。
当時最強といわれていた武田騎馬軍団の一角を担っていた両名です。
左翼に位置する佐久間信盛率いる部隊を猛然攻撃し、三重の馬防柵を蹴散らしていましたが、
最後の柵を潰す前に織田・徳川連合軍三段構えの鉄砲隊の餌食になってしまいました…。
武田勝頼の無謀さが有能な人間を潰したのでした…。
直属の家臣が主君の首を包んで、持参したとされている信綱の血染めの陣羽織は家宝と言われています。

uedacity1
一夜明けて、ホテルからみた上田市内の様子です。
一週間前の天気予報では「曇りのち雨」だったのですが、朝から爽快でした。
画像の左側ですが、県立上田東高校、さらにその奥(山側)には国立信州大学繊維学部があります。
上田市には別所温泉方面(上田駅から千曲川を越えた東側)には長野大学もあります。
これより上田城方面へと向かいます。

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JR上田駅周辺です。「信州上田は真田氏の街」ということでもあり、
街の至る所は「六文銭」だらけですわ…。

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駅前には真田の馬印と真田幸村がお出迎えです。

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これより約5-10分程北へ(上田城・市役所方面)歩くと真田藩主屋敷跡地に到着します。
父の後を受け継いだ長男信之が長野松代藩に転封されるまで、ここが上田藩庁でした。
実はここは県立上田高等学校だったのです。
通常屋敷の門(正門)は閉じられていますので、ここからは入ることはできませんが、
大変立派な門構えとなっています。これが高校かよ?と思うくらいです。
ここの門が開かれる時には「入学式」「卒業式」だと思います。

堀が巡らされていますので、その堀に沿って北側の校門より校内に侵入しました…。

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屋敷門の裏側です、まあこんな感じであり、普通の学校の様子と変わりありません。

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この高校の有名なものは藩主屋敷門跡だけではなく
「校歌」だったのです。

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特にUPした、「2番目の歌詞」は真田昌幸を称えたものです。
歌詞の中に「関八州の精鋭」とありますが、これはご存知「徳川家康・秀忠親子」のことです。
「松尾が丘」とはおそらく真田の郷のことだと推測します。
ちなみに上田高校の学校祭は「松尾祭」だそうです。
上田市の北に位置する坂城町にある県立坂城高校での学校際は「葛尾祭」だそうです。
(各々の高校HPで調べました…(ノ´∀`))
徳川軍の侵略(第一次・第二次上田合戦)を知略と策略、住民の力で退けた勇姿には脱帽です。


次回はいよいよ上田城へと向かいます…。
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